定期的に死にたくなる病への対処
定期的に死にたくなることがある。
どうしよもない虚無感がふとした瞬間にやって来る。
特に深夜にそういう気分になることが多い。
ニートで働いていないことで世間に対して負い目があるわけじゃない。
就職しなければいけないという焦燥感もない。
ニートでも幸せならいいのだけど、そうじゃないのが現状。
死にたくても死ねないのは、生きたい気持ちもあるから。
生きたい気持ちと死にたい気持ちは両立し、矛盾しない。
つまり半分死にたいのだ。
常に絶望に溢れているわけじゃない。
美味しいものを食べると嬉しいし、面白いものを見れば笑う。
ただ、心から生きていて良かったと思えることはここ数年、いや、20年ぐらいない気がする。
幸せとは己の解釈次第であり、日々の生活の有り難みに気づくべき、といった話はよく聞くのだけど、その境地にはまだ達していない。
死にたい理由
何故こんな気持になるかと言えば、生きていくのがめんどくさいからだと思う。
まだ中年ではないけど、中年の危機なるものが人より早くやってきたのかも知れない。
今のままでいれば、毎日が同じようなことの繰り返しだ。
食べて、ネットして、本を読んで、映画を見て、たまに人と会って、たまに遠出して、そんな感じの人生がずっと続いていく。
少しそれらに飽きてきた。
だからといって何かをやろうとするパワーもなかなか湧いてこない。
それはいろんな要因があると思う。
子供のころから何をやっても駄目で、常に受け身だった。
自分から友だちも作れなかったし、人を誘ったり、何か企画するということもなかった。
逃げる癖、負ける癖が心の中に染み付いている。
勝てる気しかしないの逆で、負ける気しかしない。
面接やバイトが当日に怖くなって、今まで何十回ばっくれたことがあるのだろう。
自分が人を巻き込んで何かをするとか、発信しようとすると違和感も凄い。
初めて飲み会の幹事もどきのことをちょっと前にやるはめになったけど、たかがそれだけでも緊張したし、自分にできるのかと思った。
とにかく恐怖感が先立ちし、行動が重たすぎるのだ。
何をしても先が見えてるのも大きい。
マリオカートで一周遅れの状態になると、まともに頑張ろうという人はいないだろう。
人生は競争じゃないという。
しかしやっぱり競争の部分が大きい。
どうやって社会的に成功し、好みの異性を射止め、子供を作り、次世代へバトンを渡していくか。
そういう人生ゲームなのだ。
そして子供のころから色んな意味で積み重ねてきた者たちに勝ち目はない。
もちろんこれはあまりに画一化された価値観なので、これが全てとは言わない。
自分は幼年期から負け組だけど、決して競争が嫌いなわけじゃない。
最近はやらないけど、自分がはまっているゲームで勝ったら凄く嬉しいと思うし、人狼で上手く人を騙せた時は快感に思える。
昔オンラインゲームのチームで協力して敵のチームをコテンパンにした時の達成感は最高だった。
そもそも競争で負けて悔しいという気持ちがなければ、勝っても嬉しくないはずで、それはそれで凄くつまらないと思う。
勝ち負けは悲惨なのだけど、同時にそれが面白くもある。
しかし、自分はもう世の中の主流の競争には参加できない。
それがとてもつまらない。
思いっきり何かを頑張りながら競争してみたかったんだと思う。
ルールをもっと早くから把握しておけばよかったのだけど、世の中の仕組みを知るのが遅すぎた感は否めない。
毎回年末になるとガキの使いがやっているのを見て、その時間経過の早さにただただ驚き、誰ともお祝いのメッセージを交わさずに新年を迎える。
将来のお金の心配をし、衰えていく体や感性に怯えながら時間に流されて生きていくだけ。
死ねないけど、きつい思いをして働いてまで生き抜く意思もなく、状況は悪化するばかりだ。
まるで流れ作業のように人生が進んでいく。
こういう状況にある場合、どのように対処していくべきなのか。
死ぬ
いっそ死んでしまうのも手なんだろう。
俺は自殺が悪いことだとは全く考えていない。
死を望むのは自然な感情だし、人間は自分の幸せしか望めない。
つまり、死ぬことが幸せなこともある。
死を肯定する考え方はいくらでもある。
でも、死ぬにはちょっと絶望が足りない。
40,50ぐらいになったら完全に絶望に支配されるのかな。
暇を無くす
忙しくなるのは現実的な対処法だと思う。
暇であるからいろいろ考えてしまうわけで、頭の中を同じような考えがぐるぐるしてスパイラルにはまっていく。
動いている時にネガティブな感情に襲われることは少なく、深夜は布団の中にいるからネがティブになるのかもしれない。
ただ、そう思って日雇いで工場で働いてみたけど、あそこでずっと働くことを想像したら死にたくなってしまった。
一元の感覚を会得する
根本的には他者と比べて落ち込んでしまう心が不幸の原因のような気がする。
成功者、キラキラした人生を送っている人を見ると自分は悲しい気持ちになる。
ただ、これは自然な感情であって自分の意思で抑えられない。
これに対処するため、最近では仏教の一元の概念に関心を持っている。
これは全ては一つのものから成り立っているという考え。
他者と自分という二元に分かれてしまっていることが不幸の原因らしく、全てを一つとして考えれば他者の幸福も喜べるようになるとか。
これを感覚で理解できるようにするのが瞑想らしい。
正直、言葉で聞いてもよく分からないけど今はどんなものでも試してみたい。
上の記事の最後にも書いたけど、そういう思いもあって京都で行われるヴィパーサナ瞑想に今月から行ってくる予定だ。
10日間をほとんど瞑想に費やすコースだけど、それをすることによって果たして自分にどんな変化が訪れるのか。
人生を変えるつもりで望もう。