働かざるもの飢えるべからず

人生オワコンニートの歩き方

職歴なし、金なし、女なし、オワコンアラサーニートによるニートのためのブログ

犬を食べてしまって心が痛む

せっかく韓国に来ているので、日本では食べる機会がない犬を食べに行くことにした。

犬を食材として見なしたことはないし、美味しそうだとも思わないけど、どんな味がするのか興味があった。

若いころに何でもやってことなかったことの反省として、最近では機会があればなるべくトライすることにしている。

 

犬料理は韓国では国際的な体裁を気にして非合法となっているけど、街中で堂々と営業が行われていて、実質黙認状態。

非合法なので当局による衛生面の管理や指導がないのが不安だけど、まあ大丈夫っしょ。

海外のサバイバル番組で有名なベアやエドを見ていると、火を通せば大体のものは食べられると学んだ。

 

犬肉料理屋に着くと、伝統料理であるポシンタンを注文。

ポシンタンとは鍋で香草や野菜と一緒に犬肉を煮込んだスープ料理だ。

韓国の店はソウルだと日本語がちょっとできる店員が多いので、韓国語が分からなくても何とかなることが多い。

価格は並サイズで1300円ぐらい。

 

いざ注文してみると早くも本当に食べることができるのか不安になってきた。

好奇心と不安が交差する中、料理を待つことに。

お味は?

少しすると、さっそく料理がテーブルに運ばれ、頂くことに。

恐る恐る人生初の犬肉を箸で口に運ぶ。

 

味はどうだろうか?

率直に言うと、まずくはないけど美味しくもない。

豚肉を淡泊にした感じだけど、豚肉のほうが美味しい。

ただ、もし豚肉と言われて出されたら分からないかもしれない。

 

正直、何口か食べた時点でもういらなくなってしまった。

最初は食べられると思っていたけど、どうしても気持ち悪い感じがする。

肉を噛んでいると犬のビジョンが頭の中をよぎり、食欲を減退させる。

 

微妙な臭みがまた嫌で、鼻で息をしないようにして咀嚼した。

まずくはないし、そこまで臭くもないんだけどこの抵抗感は何なんだろう。

今まで食べ物と見なしてことのない生き物を食べるのはこんなに嫌なのか。

 

しかもよく見たら頼んでないのに、勝手に店員が大盛にしやがったせいでやたらと量が多い。

文句を言いたかったが、揉めるのがめんどくさいので諦めた。

あー、残してしまいたい。

 

ふと店内のスクリーンを見ると、かわいらしいチワワが洗われている映像が流れていた。

一瞬解体作業を映しているのかと思ったけど、よく見たらただのニュース番組で少し安心した。

タイミング悪すぎんだろ。

サンクコスト

僕にももったいない精神はあるし、食べ物を大量に残すことには抵抗はある。

それでもやっぱり食べたくないものは食べたくない。

こういう時、サンクコストとして考えることにしている。

 

世の中には払った金がもったいないという理由で、多少無理しても食べ物を残さず食べ切る人がいる。

でも、これは間違いだ。

 

払ったお金はどうやっても取り戻せない。(サンクコスト)

殺した生き物もどうやっても蘇らない。

考えるべきなのは料理を食べることによって自分が効用を得られるかどうかの一点だ。

 

料理を美味しいと思えない、お腹が満たされて食べたいと思えなくなった時点で料理の効用はなくなっている。

そこで無理して食べれば、食後の気分の悪さ、無駄なエネルギー摂取による脂肪の増加など、むしろマイナスの効用しかない。

 

つまり、料理をもう食べたくないと思えば、いくらそれにお金を払っていようと堂々と残すべきなのだ。

お金を払ったという変えられない事実にしがみつき、今そこからの効用を考えられないのは愚かだと思う。

 

僕がよくやるパチンコで例えれば、もう5万円も使ってしまったので、引くに引けないとひたすら諭吉を投入するのと同じことだ。

 

というわけで、結構な量を残して店を出る。

ワンちゃん、ごめんよ。

食後感が悪かったので、口直しに飲んだキウイジュースがとても美味しかった。

犬肉の価値は

 美味しくない割にちょっと高い、そんな犬肉をわざわざ食べる必要性は感じないし、もう二度と食べることもないだろう。

珍味というほど変わった味でもないので、物珍しさで食べるのすら微妙だ。

日本で言えばイルカやクジラの肉がこんな感じなのかな。

 

そんなわけで、経験として割り切るとしても犬肉はあまりお勧めできません。