パチンコで考える幸福のメカニズム
相変わらずパチンコで生活をしのいでいるワナリです。
今月はパチンコを6回終日打ちました。
その収支を順番に書きます
1 +61500円
2 +104000円
3 +150000円
4 -86000円
5 -55000円
6 -95000円
このように、最初にいいスタートを切ったものの急に失速して結局は+8万円程度になってしまいました。
別に負けてはいないんですが、不満が残ります。
収支で言えば+になっているのだから、そこまで焦る必要はないんですが、上げて落とされると痛みを感じるのです。
月の初めのプラスマイナス0だった時よりもいい状態のはずなのに、その時よりも満足度は遥かに低い。
これを参照点依存といいます。
ある状態が基準となり、それより上か下かで幸福を測ってしまうという心理的現象です。
この例で言えば、3回目の時点で約+31万円になっていたわけですが、この31万円勝っている状態が基準となってしまい、例え8万円勝っている状態だとしても気分的には-23万円になっているということです。
現状を有り難いと思わなければきりがない
僕は以前に食費が月1万円の最底辺の生活をしていましたが、今はその時に比べると大分ましになりました。
ただ、最初は弁当を普通に買えるだけで満足していましたが、今はそれに対して特に有り難みを感じません。
人間はどこまで行っても慣れてしまうので、現状が当たり前になってしまうんですね。
さっきのパチンコの例をもっと大きくしてみます。
仮に今日僕がFXで1000万円の利益を出したけど、月末までに900万円の損失を出して、結局100万円の利益に落ち着いたとします。
この場合、月初よりも資産が100万円も増えているのにも関わらず、月初より不満を抱えてしまうわけです。
1000万勝っていた自分が基準化されちゃうからですね。
こう考えていくと、人間の幸せというのは実態よりも、自分の心理状態に左右されてしまうのが分かります。
ただ、理屈が分かっても実際にこれに対処するのはなかなか難しい。
不自由を感じるのも大事
僕は甘いものが大好きで週に2、3回甘い物を食べます
某医療ボランティアに参加した時、2週間ほど甘いものを食べられない時期がありました。
辛かったですが、その後クッキーを食べた時、自然と笑みがこぼれてしまいました。
たかがクッキーでとても喜びを感じてしまったのです。
幸福を実感するには不自由が必要なわけですね。
よく途上国などに行けば日本の有り難さが分かるといいますが、これもそうですね。
安全、清潔、便利、海外と比較すれば日本の良さをとても実感できます。
考えてみれば今のニート生活というのも大変有り難い状況です。
普通に食事はできるし、少なくとも今後数年は死ぬ心配はありません。
仕事のことは考えず、ぐっすり眠れます。
好きな本を読み、歴史のように直接生活のに役に立たないことにも関心を持てる。
これは昔でいう貴族のような生活ですね。
今の生活に不満ばかりで、あまり幸福を感じていない僕ですが、もしかしたら既に僕は人生に勝っていたのかもしれません。
誰かに勝つという相対的な意味ではなく、既に尊いものを持っているという意味でです。
仕事を辞めた直後は、朝ぐっすり眠れるだけで物凄く幸せを感じたものですが、今はそれが当たり前となっています。
毎日が休日では休日の有り難みもなくなってしまいます。
ニートの私にとって今に感謝するために味わう必要がある不自由とは、労働なんでしょう。
ただ、労働生活もニート生活も今に慣れてしまうので、しばらく働いて、しばらくニートする、という具合に交互に生活を行うぐらいが丁度いいのかもしれません。