働かざるもの飢えるべからず

人生オワコンニートの歩き方

職歴なし、金なし、女なし、オワコンアラサーニートによるニートのためのブログ

開き直って就職しないことを決めたらニートは楽になる

どうも、人生の大半をニートとして過ごしているワナリです。

ニート生活って暇な分、余計なことを考える時間がたくさんある。

そして人間は暇だと大体ろくなことを考えず、ネガティブになりやすい。

ニートが最も悩むことはやっぱり就職のことだよね。

 

自分も前までは就職のことで大分悩んでいた。

FacebookやTwiterを見れば、同級生や知り合いが社会で活躍している部分を見せつけられ、自分だけ取り残されて全く進歩していないようなあの感覚は心を抉られる。

しかも、年を取れば取るほど就職の可能性は失われていくわけだから、、なかなか動けないことに対しての焦りが半端じゃなかった。

 

でも、最近になって就職するという考えを捨てたしそのことで精神的に楽になった。

だらだらと暇な毎日を過ごしていることに多少の焦りを感じてはいるし、それはそれでいろいろ悩みは尽きないけどね。

 

就職という呪縛からの解放

就職をするということにいちいち疑いを持つ人は少ない。

自分も最初は就職をしようと思っていたけど、段々としなくてもいいという考えに変わってきたんだよね。

理由はいくつかある。

 

何とか生活できる

パチンコなんかは一例だけど、世の中小銭を稼ぐ手段は意外とある。

そういったことを駆使すれば自分が生活するぐらいだったら何とかなる。

もちろん安定性はないし、保証も0だ。

 

結婚しない

今の自分には結婚の選択肢はない。

男が金持ちを目指したり、頑張って働くのって、結局は結婚して家族を養っていくのが最大の理由だ。

逆に言えば、結婚しないなら就職して安定しなくてもいい。

 

そんなに欲しいものがない

今欲しいものは何かと聞かれれば、すぐに思い浮かばない。

もちろん、美味しいものは食べたいし、綺麗な家に住んで車も乗りたいけど、それらができないならできないで耐えられる。

したくない労働という対価を払ってまで、欲しいものがない。

 

就職に旨味がない

サラリーマンとして人生を送るなら、大学を卒業した新卒の時点で良い会社に入るのが最良の選択で間違いない。

日本の場合、実質新卒時に入った会社でサラリーマンとしての位置が大体決定される。

この時に失敗すると就職の旨味はかなり減る。

自分のように職歴がないに等しいアラサーなど、もはや望むべくキャリアもなく、就職しても相当厳しい状況に置かれる

 

少ない給料でやりたくない仕事をすることに全く魅力を感じないし、それだったら自分の好きな時に思うように小銭を稼いでいたほうがまし。

ここまで吹っ切れたのは年を取ることで選択肢がなくなったから。

若い時は選択肢が多いので、悩んで苦しむことになるんだよね。

逆に選択肢がなくなったほうが却ってすっきりする。

 

選択のパラドックス

「 選択のパラドックス」という言葉がある。

人間は選択肢が増えれば増えるほど不幸になるというもの。

これは自分の感覚でも分かる。

身近な例でいうと、いろいろメニューがあってこちらに選ばせてくる店はあんまり好きじゃない。

なぜかというと、例え自分で選択をした結果がそんなに悪くなかったとしても、やっぱり違うほうを選んでおけばよかったという思いは捨てきれないから。

 

選択肢はあればいいというものじゃない。

例えば、江戸時代にある村で農民として生まれた場合、選択肢はほとんどない。

その村から出ることもないし、職業も一生農業で結婚相手も村の中で見つける。

現代人からするととっても悲惨に思えるけど、じゃあその人が不幸なのかと言えばそんなことはない。

余計なことで悩まなくていいし、周りも皆同じように生きているから。

 

自分も幸い?なことに、ここまでニートやってると選択肢がぐっと狭まってきた。

選ぶ必要がないというのは楽。

頼むメニューが固定化した店が俺は好きだ。

学生ぐらいの若い人はいろいろ選択肢があって大変だ。

就職はどこにするか、結婚はするか、海外で働くか、資格は何を取るか、うーん悩ましいね。

これらの話は自分にはもうあまり関係がないし、少なくとも就職で悩むことはなくなった。

今就ける仕事は5年後も就けるだろうから。

 

何かしらはやりたい

就職しなくても、全く働くつもりがないわけじゃない。

ニート生活は暇すぎて逆に辛いことがあるので、何かしらやることは欲しい。

何もストレスがないとそれがまたストレスになる、という不憫な構造をしているのが人間なんだよね。

人間何かに没頭している時が一番幸せなんだろう。

今までの人生の中で自分が一番没頭したことがあるのはゲームだ。

家のゲームも相当やったけど、一番はまったのは中学生のころにゲームセンターに通ってプレイする格闘ゲームだった。

人と対戦して連勝しまくった時の高揚感、集中力の発揮、まさに至福を感じていた。

 

今となってはほとんどゲームを触ることはなくなったし、特に熱中してることもない。

最近は生きている実感が薄いけど、昔の自分にとってのゲームのような存在を見つられたら生き返ると思う。

そして、それを生業に繋げられれば言うことないね。