ニート必見、他人と比較して落ち込むことへの現実的な対処法。
人と比較して落ち込むことは誰にでもある。
それなりにやってる人ですら他者と比較して落ち込むのだから、自分のような落ちこぼれにとってはなおさらその傾向が強い。
この比較意識はいろんな場面でモチベーションを奪っていく。
自分が未だに働いていないのは、他者との比較意識からくるものが大きい。
今更後追いで労働者としてのレースに参加する気にはどうしてもなれない。
また、以前英語の勉強をしていた時に、インターナショナル校に通う子供がペラペラネイティブの英語を喋っているのを見ると、なんだかあほらしくなってしまったことがある。
勉強の目的が明確であれば関係ないんだろうけど、そうではなかったのでやる気が失せた。
嫉妬は明らかに損をする。
比較しないことは可能なのか
よく人と比較しない方法論を語っている記事を見かけるけど、実際そんなこと本当にできるのか疑問。
比較は生きていく上で絶対に必要な概念だからだ。
比較なくして認識なし
まず大前提としてこの世で何かを認識する場合、必ず比較が必要になる。
人を大きいと思う時、小さい人と比較している。
人を金持ちと思う時、貧乏な人と比較している。
人を幸せだと思う時、不幸な自分と比較している。
全ては相対的であって、認識には比較が伴っている。
ある概念が成立するためには必ずその反対の概念が必要になる。
余談だけど、幸せが存在するためには不幸も存在しなければならないなら、全員が幸福になる時代は永遠に来ないのかも知れない。
絶対的幸福というものがあれば話は別だけど、そんなものがあるんだろうか。
こう考えると、人と比較しないというのはこの世に生きている限り不可能に見える。
比較は事実の認識に必要であって、絶対避けることができない。
他者に無関心になる方法
他者と比較することはある程度しょうがないとしても、なるべくそれによってネガティブにならないようにしたほうがいい。
これはどれだけ他者に無関心でいられるかが鍵だと思う。
嫉妬の炎は自然反応なので、その炎を付ける燃料をいかに仕入れないかが大事だからだ。
どうすれば他者に無関心でいられるか、現実的な方法を考えてみる。
何かに没頭する
今まで、何かに取り憑かれたように取り組んだことはあるだろうか。
自分の場合、該当するのは中学生時代の格闘ゲームと浪人時代の最後の一ヶ月を毎日15時間勉強した時だ。
この時は人と比較したとしても、それで落ち込むことは少なかった。
とてつもなく物事に集中すると、他者のことはどうでもよくなってくる。
没頭できる対象を見つけるのが難しいけど、これができれば結果に関わらず他者に心を惑わされることも減る。
情報を遮断する
フェイスブックのようなSNSで、成功したり、リア充をしている知り合いを見て落ち込むのは世界共通の現象。
これを繰り返すと幸福度は下がっていく。
人と比較して落ち込むことが分かっているのに、SNSでサーフィンをすることは自ら不幸になりにいってるのに等しい。
自分もネットサーフィンをして、いわゆる天才や秀才の活躍ぶりを見ると悲しくなってしまう。
自分より若いのに、大きな業績を残している人間はたくさんいるからだ。
そういう現実を思い知らされた時、惨めな気持ちになってしまうのが正直な所。
こういう状況だと、合理的に考えれば余計な情報を入れるべきじゃない。
SNSで他人の情報を集めた所で何の得にもならないので、完全には無理でもある程度意識的にシャットダウンしたほうがいい。
「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があるけど、そこまで能力がないなら実は井の中の蛙でいたほうが幸せなこともある。
例えば田舎暮らしで貧乏だったとしても、あまり自分の周り以外のことに興味を持たない人は、家族を持って幸せそうに暮らしてたりする。
情報はあればいいわけじゃない。
嫉妬と性欲は似ている
嫉妬は一度対象を意識してしまうと、その炎が燃えないようにするのが困難という点で性欲と似ている。
性欲も普段は抑えられていても、ポルノや性的なものを見ると欲望の炎が一気に燃え上がり、欲求不満になってしまう。
意識に上がってしまえばもうどうしよもないのだから、いかに意識しないかが重要になる。
自分は無駄に刺激されそうなコンテンツはある程度避けるようにしている。
Youtubeを見る時、嫉妬心を煽られそうな動画や、かわいい女の子がサムネの動画はなるべく再生しない。
自分の手の届かない女の子にガチで恋をして追っかけている男がたまにいるけど、それは不幸になるだけだと思う。
意識のレベルをメタにする
もし、この世の全てと自分を一つとする感覚を持つことができれば、他者の喜びは自分のものにできる。
仏教には自分と他者を分離しない見方があって、全てを自分のこととして捉える。
これはまだ勉強中でではっきりしたことは言えないし、良く分からない。
以前も記事に書いたけど、その概念を体得しようと今月からヴィパーサナー瞑想の合宿に行ってくる予定。
まとめ
比較しないことは無理。
意識してしまうと嫉妬しないことは難しい。
なので、なるべく他者を意識しないですむように情報のコントロールをするのが現実的。
自分もまだまだだけど、無駄な情報をなるべく仕入れないようにしたい。