働かざるもの飢えるべからず

人生オワコンニートの歩き方

職歴なし、金なし、女なし、オワコンアラサーニートによるニートのためのブログ

ニート必見、他人と比較して落ち込むことへの現実的な対処法。

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人と比較して落ち込むことは誰にでもある。

それなりにやってる人ですら他者と比較して落ち込むのだから、自分のような落ちこぼれにとってはなおさらその傾向が強い。

この比較意識はいろんな場面でモチベーションを奪っていく。

 

自分が未だに働いていないのは、他者との比較意識からくるものが大きい。

今更後追いで労働者としてのレースに参加する気にはどうしてもなれない。

 

また、以前英語の勉強をしていた時に、インターナショナル校に通う子供がペラペラネイティブの英語を喋っているのを見ると、なんだかあほらしくなってしまったことがある。

勉強の目的が明確であれば関係ないんだろうけど、そうではなかったのでやる気が失せた。

 

嫉妬は明らかに損をする。

 

 

比較しないことは可能なのか

よく人と比較しない方法論を語っている記事を見かけるけど、実際そんなこと本当にできるのか疑問。

比較は生きていく上で絶対に必要な概念だからだ。

 

比較なくして認識なし

まず大前提としてこの世で何かを認識する場合、必ず比較が必要になる。

 

人を大きいと思う時、小さい人と比較している。

人を金持ちと思う時、貧乏な人と比較している。

人を幸せだと思う時、不幸な自分と比較している。

 

全ては相対的であって、認識には比較が伴っている。

ある概念が成立するためには必ずその反対の概念が必要になる。

 

余談だけど、幸せが存在するためには不幸も存在しなければならないなら、全員が幸福になる時代は永遠に来ないのかも知れない。

絶対的幸福というものがあれば話は別だけど、そんなものがあるんだろうか。

 

こう考えると、人と比較しないというのはこの世に生きている限り不可能に見える。

比較は事実の認識に必要であって、絶対避けることができない。

 

 他者に無関心になる方法

他者と比較することはある程度しょうがないとしても、なるべくそれによってネガティブにならないようにしたほうがいい。

これはどれだけ他者に無関心でいられるかが鍵だと思う。

嫉妬の炎は自然反応なので、その炎を付ける燃料をいかに仕入れないかが大事だからだ。

どうすれば他者に無関心でいられるか、現実的な方法を考えてみる。

 

何かに没頭する

 今まで、何かに取り憑かれたように取り組んだことはあるだろうか。

自分の場合、該当するのは中学生時代の格闘ゲームと浪人時代の最後の一ヶ月を毎日15時間勉強した時だ。

この時は人と比較したとしても、それで落ち込むことは少なかった。

とてつもなく物事に集中すると、他者のことはどうでもよくなってくる。

没頭できる対象を見つけるのが難しいけど、これができれば結果に関わらず他者に心を惑わされることも減る。

 

情報を遮断する

 フェイスブックのようなSNSで、成功したり、リア充をしている知り合いを見て落ち込むのは世界共通の現象。

これを繰り返すと幸福度は下がっていく。

人と比較して落ち込むことが分かっているのに、SNSでサーフィンをすることは自ら不幸になりにいってるのに等しい。

 

自分もネットサーフィンをして、いわゆる天才や秀才の活躍ぶりを見ると悲しくなってしまう。

自分より若いのに、大きな業績を残している人間はたくさんいるからだ。

そういう現実を思い知らされた時、惨めな気持ちになってしまうのが正直な所。

 

こういう状況だと、合理的に考えれば余計な情報を入れるべきじゃない。

SNSで他人の情報を集めた所で何の得にもならないので、完全には無理でもある程度意識的にシャットダウンしたほうがいい。

 

井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があるけど、そこまで能力がないなら実は井の中の蛙でいたほうが幸せなこともある。

例えば田舎暮らしで貧乏だったとしても、あまり自分の周り以外のことに興味を持たない人は、家族を持って幸せそうに暮らしてたりする。

情報はあればいいわけじゃない。

 

嫉妬と性欲は似ている

 嫉妬は一度対象を意識してしまうと、その炎が燃えないようにするのが困難という点で性欲と似ている。

性欲も普段は抑えられていても、ポルノや性的なものを見ると欲望の炎が一気に燃え上がり、欲求不満になってしまう。

 

意識に上がってしまえばもうどうしよもないのだから、いかに意識しないかが重要になる。

 

自分は無駄に刺激されそうなコンテンツはある程度避けるようにしている。

Youtubeを見る時、嫉妬心を煽られそうな動画や、かわいい女の子がサムネの動画はなるべく再生しない。

自分の手の届かない女の子にガチで恋をして追っかけている男がたまにいるけど、それは不幸になるだけだと思う。

 

意識のレベルをメタにする

もし、この世の全てと自分を一つとする感覚を持つことができれば、他者の喜びは自分のものにできる。

仏教には自分と他者を分離しない見方があって、全てを自分のこととして捉える。

これはまだ勉強中でではっきりしたことは言えないし、良く分からない。

以前も記事に書いたけど、その概念を体得しようと今月からヴィパーサナー瞑想の合宿に行ってくる予定。

 

まとめ

比較しないことは無理。

意識してしまうと嫉妬しないことは難しい。

なので、なるべく他者を意識しないですむように情報のコントロールをするのが現実的。

自分もまだまだだけど、無駄な情報をなるべく仕入れないようにしたい。

開き直って就職しないことを決めたらニートは楽になる

どうも、人生の大半をニートとして過ごしているワナリです。

ニート生活って暇な分、余計なことを考える時間がたくさんある。

そして人間は暇だと大体ろくなことを考えず、ネガティブになりやすい。

ニートが最も悩むことはやっぱり就職のことだよね。

 

自分も前までは就職のことで大分悩んでいた。

FacebookやTwiterを見れば、同級生や知り合いが社会で活躍している部分を見せつけられ、自分だけ取り残されて全く進歩していないようなあの感覚は心を抉られる。

しかも、年を取れば取るほど就職の可能性は失われていくわけだから、、なかなか動けないことに対しての焦りが半端じゃなかった。

 

でも、最近になって就職するという考えを捨てたしそのことで精神的に楽になった。

だらだらと暇な毎日を過ごしていることに多少の焦りを感じてはいるし、それはそれでいろいろ悩みは尽きないけどね。

 

就職という呪縛からの解放

就職をするということにいちいち疑いを持つ人は少ない。

自分も最初は就職をしようと思っていたけど、段々としなくてもいいという考えに変わってきたんだよね。

理由はいくつかある。

 

何とか生活できる

パチンコなんかは一例だけど、世の中小銭を稼ぐ手段は意外とある。

そういったことを駆使すれば自分が生活するぐらいだったら何とかなる。

もちろん安定性はないし、保証も0だ。

 

結婚しない

今の自分には結婚の選択肢はない。

男が金持ちを目指したり、頑張って働くのって、結局は結婚して家族を養っていくのが最大の理由だ。

逆に言えば、結婚しないなら就職して安定しなくてもいい。

 

そんなに欲しいものがない

今欲しいものは何かと聞かれれば、すぐに思い浮かばない。

もちろん、美味しいものは食べたいし、綺麗な家に住んで車も乗りたいけど、それらができないならできないで耐えられる。

したくない労働という対価を払ってまで、欲しいものがない。

 

就職に旨味がない

サラリーマンとして人生を送るなら、大学を卒業した新卒の時点で良い会社に入るのが最良の選択で間違いない。

日本の場合、実質新卒時に入った会社でサラリーマンとしての位置が大体決定される。

この時に失敗すると就職の旨味はかなり減る。

自分のように職歴がないに等しいアラサーなど、もはや望むべくキャリアもなく、就職しても相当厳しい状況に置かれる

 

少ない給料でやりたくない仕事をすることに全く魅力を感じないし、それだったら自分の好きな時に思うように小銭を稼いでいたほうがまし。

ここまで吹っ切れたのは年を取ることで選択肢がなくなったから。

若い時は選択肢が多いので、悩んで苦しむことになるんだよね。

逆に選択肢がなくなったほうが却ってすっきりする。

 

選択のパラドックス

「 選択のパラドックス」という言葉がある。

人間は選択肢が増えれば増えるほど不幸になるというもの。

これは自分の感覚でも分かる。

身近な例でいうと、いろいろメニューがあってこちらに選ばせてくる店はあんまり好きじゃない。

なぜかというと、例え自分で選択をした結果がそんなに悪くなかったとしても、やっぱり違うほうを選んでおけばよかったという思いは捨てきれないから。

 

選択肢はあればいいというものじゃない。

例えば、江戸時代にある村で農民として生まれた場合、選択肢はほとんどない。

その村から出ることもないし、職業も一生農業で結婚相手も村の中で見つける。

現代人からするととっても悲惨に思えるけど、じゃあその人が不幸なのかと言えばそんなことはない。

余計なことで悩まなくていいし、周りも皆同じように生きているから。

 

自分も幸い?なことに、ここまでニートやってると選択肢がぐっと狭まってきた。

選ぶ必要がないというのは楽。

頼むメニューが固定化した店が俺は好きだ。

学生ぐらいの若い人はいろいろ選択肢があって大変だ。

就職はどこにするか、結婚はするか、海外で働くか、資格は何を取るか、うーん悩ましいね。

これらの話は自分にはもうあまり関係がないし、少なくとも就職で悩むことはなくなった。

今就ける仕事は5年後も就けるだろうから。

 

何かしらはやりたい

就職しなくても、全く働くつもりがないわけじゃない。

ニート生活は暇すぎて逆に辛いことがあるので、何かしらやることは欲しい。

何もストレスがないとそれがまたストレスになる、という不憫な構造をしているのが人間なんだよね。

人間何かに没頭している時が一番幸せなんだろう。

今までの人生の中で自分が一番没頭したことがあるのはゲームだ。

家のゲームも相当やったけど、一番はまったのは中学生のころにゲームセンターに通ってプレイする格闘ゲームだった。

人と対戦して連勝しまくった時の高揚感、集中力の発揮、まさに至福を感じていた。

 

今となってはほとんどゲームを触ることはなくなったし、特に熱中してることもない。

最近は生きている実感が薄いけど、昔の自分にとってのゲームのような存在を見つられたら生き返ると思う。

そして、それを生業に繋げられれば言うことないね。

定期的に死にたくなる病への対処

定期的に死にたくなることがある。

どうしよもない虚無感がふとした瞬間にやって来る。

特に深夜にそういう気分になることが多い。

ニートで働いていないことで世間に対して負い目があるわけじゃない。

就職しなければいけないという焦燥感もない。

ニートでも幸せならいいのだけど、そうじゃないのが現状。

 

死にたくても死ねないのは、生きたい気持ちもあるから。

生きたい気持ちと死にたい気持ちは両立し、矛盾しない。

つまり半分死にたいのだ。

 

常に絶望に溢れているわけじゃない。

美味しいものを食べると嬉しいし、面白いものを見れば笑う。

ただ、心から生きていて良かったと思えることはここ数年、いや、20年ぐらいない気がする。

幸せとは己の解釈次第であり、日々の生活の有り難みに気づくべき、といった話はよく聞くのだけど、その境地にはまだ達していない。

死にたい理由

何故こんな気持になるかと言えば、生きていくのがめんどくさいからだと思う。

まだ中年ではないけど、中年の危機なるものが人より早くやってきたのかも知れない。

今のままでいれば、毎日が同じようなことの繰り返しだ。

 

食べて、ネットして、本を読んで、映画を見て、たまに人と会って、たまに遠出して、そんな感じの人生がずっと続いていく。

少しそれらに飽きてきた。

だからといって何かをやろうとするパワーもなかなか湧いてこない。

それはいろんな要因があると思う。

 

子供のころから何をやっても駄目で、常に受け身だった。

自分から友だちも作れなかったし、人を誘ったり、何か企画するということもなかった。

逃げる癖、負ける癖が心の中に染み付いている。

勝てる気しかしないの逆で、負ける気しかしない。

面接やバイトが当日に怖くなって、今まで何十回ばっくれたことがあるのだろう。

 

自分が人を巻き込んで何かをするとか、発信しようとすると違和感も凄い。

初めて飲み会の幹事もどきのことをちょっと前にやるはめになったけど、たかがそれだけでも緊張したし、自分にできるのかと思った。

とにかく恐怖感が先立ちし、行動が重たすぎるのだ。

 

何をしても先が見えてるのも大きい。

マリオカートで一周遅れの状態になると、まともに頑張ろうという人はいないだろう。

 

人生は競争じゃないという。

しかしやっぱり競争の部分が大きい。

どうやって社会的に成功し、好みの異性を射止め、子供を作り、次世代へバトンを渡していくか。

そういう人生ゲームなのだ。

そして子供のころから色んな意味で積み重ねてきた者たちに勝ち目はない。

もちろんこれはあまりに画一化された価値観なので、これが全てとは言わない。

 

自分は幼年期から負け組だけど、決して競争が嫌いなわけじゃない。

最近はやらないけど、自分がはまっているゲームで勝ったら凄く嬉しいと思うし、人狼で上手く人を騙せた時は快感に思える。

昔オンラインゲームのチームで協力して敵のチームをコテンパンにした時の達成感は最高だった。

 

そもそも競争で負けて悔しいという気持ちがなければ、勝っても嬉しくないはずで、それはそれで凄くつまらないと思う。

勝ち負けは悲惨なのだけど、同時にそれが面白くもある。

 

しかし、自分はもう世の中の主流の競争には参加できない。

それがとてもつまらない。

思いっきり何かを頑張りながら競争してみたかったんだと思う。

ルールをもっと早くから把握しておけばよかったのだけど、世の中の仕組みを知るのが遅すぎた感は否めない。

 

毎回年末になるとガキの使いがやっているのを見て、その時間経過の早さにただただ驚き、誰ともお祝いのメッセージを交わさずに新年を迎える。

将来のお金の心配をし、衰えていく体や感性に怯えながら時間に流されて生きていくだけ。

死ねないけど、きつい思いをして働いてまで生き抜く意思もなく、状況は悪化するばかりだ。

まるで流れ作業のように人生が進んでいく。

 

こういう状況にある場合、どのように対処していくべきなのか。

 

死ぬ

いっそ死んでしまうのも手なんだろう。

俺は自殺が悪いことだとは全く考えていない。

死を望むのは自然な感情だし、人間は自分の幸せしか望めない。

つまり、死ぬことが幸せなこともある。

死を肯定する考え方はいくらでもある。

でも、死ぬにはちょっと絶望が足りない。

40,50ぐらいになったら完全に絶望に支配されるのかな。

 

暇を無くす

忙しくなるのは現実的な対処法だと思う。

暇であるからいろいろ考えてしまうわけで、頭の中を同じような考えがぐるぐるしてスパイラルにはまっていく。

動いている時にネガティブな感情に襲われることは少なく、深夜は布団の中にいるからネがティブになるのかもしれない。

ただ、そう思って日雇いで工場で働いてみたけど、あそこでずっと働くことを想像したら死にたくなってしまった。

 

wanari.hatenablog.com

 

一元の感覚を会得する

根本的には他者と比べて落ち込んでしまう心が不幸の原因のような気がする。

成功者、キラキラした人生を送っている人を見ると自分は悲しい気持ちになる。

ただ、これは自然な感情であって自分の意思で抑えられない。

 

これに対処するため、最近では仏教の一元の概念に関心を持っている。

これは全ては一つのものから成り立っているという考え。

他者と自分という二元に分かれてしまっていることが不幸の原因らしく、全てを一つとして考えれば他者の幸福も喜べるようになるとか。

これを感覚で理解できるようにするのが瞑想らしい。

正直、言葉で聞いてもよく分からないけど今はどんなものでも試してみたい。

 

wanari.hatenablog.com

 

上の記事の最後にも書いたけど、そういう思いもあって京都で行われるヴィパーサナ瞑想に今月から行ってくる予定だ。

10日間をほとんど瞑想に費やすコースだけど、それをすることによって果たして自分にどんな変化が訪れるのか。

人生を変えるつもりで望もう。

スマートニュースに記事が取り上げられた。他メディアを利用する重要性

このブログを始めて2つ記事を書き終えたころの話。

前日までアクセス数は一桁なのに、急に三桁に上がったんだよね。

アクセス解析を見てみると、スマートニュースというサイトからの流入がやたらと多い。

調べてみるとはてなブログの記事がこのサイトに取り上げられることがあるのね。

 

 

wanari.hatenablog.com

 

スマートニュースを見てもどこで取り上げられているのかは分かりませんでしたが、アクセス先を見るとこの記事が選ばれる模様。

家賃に関する記事でしたが、どういう審査基準で取り上げられてるんだろ。

そんなにしっかり書いた記事だったので、恥ずかしい気持ちもあった。

 

別に選ばれたといってもバズったわけじゃなく、読者が増えたわけでもなく、それ以降はアクセスに変化がないので大した意味はなかった。

そもそも2記事しか書いてなかったし当たり前ですね。

むしろそんな始めたばかりのブログでも取り上げてくれるのが以外。

それでも、自分の書いた記事に着目してくれた人がいたと思うと、嬉しい気持ちはある。

 

こういうのがどんどん積み重なっていくとハマっていくんだろうな。

似たようなことはツイッターにもあった。

 

ツイッターの楽しさを知る

ツイッターを始めた初日だったかな。

フォロワーは0でツイートも一つだけ、そんな時に佐々木俊尚さんという方のツイートがたまたま目に入った。

 

 

内容は文化格差についてで、これに関して痛いほどよく分かっている自分は以下のコメントを付けてリツイートした。

 

 

 そしたら、これが御本人にリツイート頂いて、いいねとリツイートが30ぐらい来た。

フォロワーは5人ぐらいしか増えなかったけど、何も書いてなかったので当たり前だね。

別にバズでも何でもないけど、twitterを始めて2ツイート目の出来事だったのでいろんな人からの反応が来るのは新鮮だった。

 

有名人に絡む大切さ

結局、弱小コンテンツが人の注目を集めるためには、既に人が集まっているところに取り上げてももらうのが一番手っ取り早い。

佐々木俊尚さんはフォロワーが80万人もいたけど、そういう有名人にどんどん絡んでいって、取り上げてもらうことができればその影響力をおすそ分けして貰える。

数撃ちゃ当たる戦法で有名人にコメント爆撃していけば必ずフォロワーは増える。

それでどうすんのって話ではあるけど。

 

これははてなブログでも同様で、アクセスが欲しいならどんどん他の人気ブログに行って絡んだほうがいい。

でも、自分のブログの中身も整ってないのに見てもらってもしょうがないと思うので、無意味にアクセスを増やす気はない。

実際、スマートニュースで取り上げられてもアクセスはその後増えてない。

中身が乏わないのに水増ししても無駄なこと。

今後もアクセスは置いておいて、マイペースにブログを書きながら長続きさせたい。

久しぶりに図書館に行ってきたらコミュ障に優しくなってた。

今日は久しぶりに図書館に行って本を借りてきた。

借りたジャンルとしては経済学、社会学、歴史、政治、医療など全く金の匂いがしないものばかり。

学生時代なら逆に経営、会計、英語みたいに実利に結びつきそうなものばかりに関心があって、こういうのは全く興味示さなかったな。

まあ、どちらにしても勉強にさほど興味はなかったけど。

結構久しぶりに来て、前回と大きく変わっていることが一つある。

それは、

 

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貸出しが自動化されていること。

やり方はとっても簡単で写真にある台の上に本を置いてスキャンするだけ。

これが随分便利で1冊づつじゃなくて、何冊もまとめてスキャンしてくれる。

いやー、実にいいね。

しかも返却は最寄り駅にある返却ポストに入れておけばいいんだと。

一体どこまで便利になってるんだ。

 

トイレも綺麗だし、中は落ち着いていい雰囲気だし、税金を全然払っていない自分としてはありがたや~。

 

 

何より嬉しいのが、司書の人に借りる本を見られてなくてもいいこと。

「性の歴史」みたいな本は女の人に渡すのってちょっと恥ずかしいけど、これなら何も気兼ねすることなく借りられる!

別に気にする必要がないのは頭では分かってるけど、それでも気にしてしまうのがコミュ障の悲しいところ。

 

何でこんなに人の視線を気にしてしまうのかは分からない。

これはもう理屈じゃなく、怖いものは怖い。

自分がどんな本を読んでるか、何をしてるか、何が好きか、そういうことを知られるのが本当に苦手。

この自己開示能力の低さゆえに、社会で上手くやっていけず大分損してきたと思う。

 

何にしても図書館は本当にいい場所だと思う。

本を読むにはうってつけの空間。

家にいてもなかなか本を読む気にならないかもしれないけど、不思議と図書館の空気の中にいると読めるようになるんだよね。

なんで、本を読みたいと思ってるけど、なかなか読めない人にはとってもお薦め。

 

図書館に来てる人平日は若者は受験生ぐらいしかいなくて、大体中高年ばかりだけど、それがより一層落ち着いた雰囲気を醸し出してる。

俺はギリギリ20代なんだけど、若い人が苦手なんだよね。

特に学生が苦手で、騒がしいところは自然と避ける。

だからあの雰囲気は心地いい。

 

図書館まで歩いて30分ぐらいだから、丁度いいウォーキングにもなって充実感も持てるのもいい。

暇してるニートは是非図書館に行ってみればいいと思う。

金のためでも、試験のためでもなく、ゲーム感覚で読書を始めると気楽で楽しいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニートが日雇い労働を一日で辞めた理由

基本的に暇すぎる日常を送っているので、気晴らしに初めて工場での日雇い労働をしてみた。

体験した感想を言うと、もう二度とやりたくない。

自分にとっては今後小遣い稼ぎの選択肢にすらならないと確信。

それほどまでに思った理由は何か?

 

待遇が悪い

時給はたった850円で、しかも交通費なしだ。

ロッカーは鍵がないし、盗まれたらどうするんだと思った。

こういうことからして、自分が雑に扱われてる奴隷であることをよく思い知らされる。

そのくせ出勤前の連絡や同じ派遣会社の人と集合など、めんどくさい要素も多い。

ひっきりなしに電話をかけてくる派遣会社の営業が悪魔に見えた。

 

しんどい

工場のライン作業で、商品の積み込みや詰め込みをやったけど、ほとんど動きっぱなしで普段から運動してないニートにとってはきついものがある。

パートのおばちゃんのほうがよっぽどキビキビ動いていて、使える人材だった。

しかもそういうおばちゃんは妙に意識が高く、細かいところに気を配っていろいろ要求してくる。

日本のサービスや品質が高いのは、待遇に関係なく頑張っちゃう人がいるからだと思わされた。

 

時間が経つのが異様に遅くて、30分経ったと思って時計を見たら15分しか経っていなかった時は絶望した。

楽しいことをしている時と苦しいことをしている時は、時間の流れが違うんじゃないかな。

 

空気が嫌だ

やはり日雇いに来るのは訳ありっぽい人ばかりだ。

もう見た目からして闇を感じてしまう。

日本語が怪しい東南アジア人もたくさんいて、そういう作業場のどんよりした空気は非常に重たい。

 

昼飯は外のベンチで食べた。

周りの人が風俗やギャンブルの話で盛り上がってる中、一人、空を見上げながらコンビニのおにぎりを頬張っていた。

俺は一体何をやっているんだろう、なぜここにいるんだろう。

そんな思いがこみ上げてきて、悲しくなってしまった。

 

一度体験してみるのはあり

高校生と同じ時給で、しんどく、どんよりとした空気の中で働くというのは自分には無理だった。

ただ、クタクタになった勤務後は解放感に満たされ、飯が美味く感じた。

夜もよく眠れて気持ちよかった。

普段の生活のありがたみを際立たせるために、あえて苦痛を経験するという点では意味があったかもしれない。

 

これからキャリアを描いていく若い人は日雇い労働を経験しておくのはいい。

ああいう世界を若い時に見ると、自分は頑張らなければと思えるはず。

ニートは注意せよ。初めてのアメリカ入国審査で焦った話。

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 人生で初めてアメリカに行き、入国審査で冷や汗をかいたことがある。

当初は入国なんて誰でもできると思っていたので、油断してちょっと想定外のことが起こった。

ロサンゼルス空港に着いて、外国人用の審査の列に並んだ時の話をしよう。

 

 

入国審査

自分の番になってデスクに行き、指紋登録などを終えて問答が始まった。

会話内容は赤字とする。

 

審査官「どれくらい滞在する?」

 

俺「30日」

 

審査官「普通日本人は数日しか滞在しないのに、なんでそんなに長く滞在するの?ビジネスのために来たの?」

 

この時点でこんなこと言われるのが想定外。

しかも結構怪しんだ目で見つめられている。

 

俺「観光のためです」

 

審査官「どこに行くの?」

 

俺「ラスベガスやサンフランシスコです。(嘘)」

 

審査官「仕事は何してるの?」

 

俺「無職です」

 

俺がこう答えた瞬間、審査官の顔は一層険しくなった。

 

審査官「何で無職なの?」

 

俺「ここに来る直前にやめたからです」

 

審査官「何で仕事見つけてないのに観光してるの?」

 

いちいちうるさいなー。ほっとけや!

しかも、慣れない英語だからめっちゃ焦って余計怪しいっていうね。

 

俺「息抜きのためです」

 

審査官「ちょっとおかしくない?本当はビジネス目的でしょ?」

 

完全に圧迫気味の相手の姿勢に押されそうになるも、何とか落ち着いて回答を続ける。

 

俺「いや、初めてのアメリカだしゆっくりしたいだけです」

 

審査官「前職は何やってたの?」

 

俺「営業職です」

 

審査官「何を売ってたの?」

 

俺「センサーです」

 

審査官「どれくらいのお金を稼いでたの?」

 

安すぎると不法就労を疑われそうだったので高めに答えることにした。

 

俺「うーん、7万ドルぐらいですかね(嘘)」

 

審査官「お金はいくら持ってきたの?」

 

ここも盛ることにした。

 

俺「キャッシュで2000ドル、クレジットも数枚あって、日本の口座に十万ドル(嘘)」

 

審査官「ふむ...アメリカに知り合いはいるの?」

 

俺「いません」

 

審査官「わかった、もう行っていいよ」

 

俺「ありがとう」

 

こんな感じで終わった。

適当な嘘をその場で並べ立ててどうにかやり過ごしたけど、短いやり取りとはいえこういうオフィシャルな場面で堂々と嘘をつくのは緊張する。

アメリカ政府に対して嘘をついているということになるからね。

今回のことで反省するべきことがいくつかある

ロサンゼルス空港の審査は厳しい

基本的に移民が行きたがる国ほど、入国審査は厳しい。

つまり、世界で1,2番目に人気のアメリカやイギリスはとても厳しい部類にはいるのだけど、ロサンゼルス空港はその中でも特に厳しいようだ。

自分が行こうとしている国の審査がどれくらい厳しいのか、事前に調べておかないと駄目だ。

聞かれることは大体決まっているので、準備さえすれば問題はないはず。

 

人気の国だからこそ、やって来る外国人にも強気だ。

大したスキルのない労働者は来られても迷惑だし、来てほしくない。

あくまで旅行客としてさっさと金を使って帰りやがれ。

本音を言えばそういうことだろう。

日本人の不法滞在者が多い

ロサンゼルスには学生の延長でビザが切れても住み着いてしまったり、語学学生のふりをして学校に通わずに仕事をしているような日本人が結構いる。

当然アメリカとしてはこういう人たちには迷惑している。

なので、日本人と言えども厳しく審査はされると覚悟しておこう。

無職申告はやめたほうがいい

入国審査の時に職業を聞かれて無職と答えるのはまずい。

アメリカの入国審査官が最も警戒するのは不法就労なので、無職と分かった時点で警戒対象に入ってしまい、いろいろ深堀りされることになる。

俺のようなニートは前職か、適当な職業を考えておく必要がある。

正直に言わなくても大丈夫。

美容師みたいに場所を選ばず働ける系の職業だと怪しまれるようなので、日本国内に基盤があるような職業がいい。

 

嘘にもその場で分かるものとそうでないものがある。

例えば帰りの航空券の日付は嘘をつくと、その場で確認されたらばれるからリスキー。

でも、自分の経歴や目的だったらその場で確認しようがないのでいくらでも嘘がつける。

嘘がばれたら二度と入国できない可能性があるので、しっかりと準備して嘘をついたほうがいい。

 

2回目はあっさりと通過

2回目にロサンゼルスにやってきた時、前回のことを踏まえてしっかり準備した。

でも、審査ブースに行ってみると拍子抜けだった。

行き先や滞在日数すら聞かれず、一切言葉も交わすこと無くパスポートに判だけ押されて通過できたのだ。

1回目とは違う簡易ブースに案内されたので、2回目以降は難易度がさがるのかもしれない。

 

前のインド人っぽい人は同じ審査官にいろいろ質問されていたので、自分は怪しくないと思われたのだろう。

いかにも観光客っぽくするために、革ジャンを着てテンガロンハットを被ったのが正解だったのかな

結局は人によるとしか言いようがないのだけど。 

増える強制送還

トランプ政権になってからますます入国審査は厳しくなっており、強制送還や別室送りになるケースが増えている。

たかが入国審査と侮らず、よく準備をして望んだほうがいい。

高い航空券代がパーになったら精神的にしんどいと思うので、気をつけよう。